昭和44年11月22日 夜の御理解
                            中村良一


只今、佐田さん達ご夫婦が、御礼に来ておられますが、今日、恵介君が学校で、廊下の正面に、こう一枚ガラスの戸があるそうです。ですから、そのガラス戸があると思って、廊下を走って、そのガラス戸に向って、手を突っ込んで走っていったところが、そのガラス戸が取れてあったんですね。ですから、向こうの、コンクリの柱へ頭を持って行ったち言うわけなんです。大変な、ひどいことだったろうと思いますよね。良くあんな、デパートなんかへ行きますと、こう一枚ガラスの大きなのがありましょう。中にこう、足を踏み込むような感じのとこがありますよね。まぁ、そんな事だったろうと思いますけれども、直ぐ、学校の先生から電話がかかり、直ぐ病院に連れて行ってもらって、ここのところを、まぁ二針、それこそ、麻酔もかけずに縫われたそうですけれども、一生懸命、恵介君、頑張っておったちいう事でございます。そして帰って、とにかくあの、僕がお気付け頂いたというて言うんだそうですね。姉ちゃんの横で、恵介君な、毎日お参りするのに、その、この頃、自動車から跳ねられたり、今度は、怪我をしたりするがと言うたら。そら僕は、ちゃんとその、してはならないことをして、違反しとったから、お気付け頂いたと自分で。廊下を走っちゃ出来ない。だから僕は、学校の先生に、一番先に、もうこれから、廊下は走りませんち言うて、断りを言うたち言うてその、言うんだそうですね。本当にあの、例えば、なるほど、怪我はしました、痛い思いもしました。けれども、子供ながらもですね。これから何時も、その、走っちゃならん所を走らん、違反する様な事はしないと。その事は、私はもう、とりもなおさず、その事よりも、素晴らしいことだと思う。怪我するくらいのことじゃない。同時に、それの事によって、両親の佐田さん達ご夫婦が、本当に、その事によって、色々、親自体、自信が、分からせて頂くことがあると。
今朝も、あの、朝の御祈念にお参りして、来がけに、車の中で、その、目に矢が飛んでくるお知らせを頂いておったと、本人自身が。それを、お届けも、お取次ぎも頂かなかった事が、今日、こう言う目にあったんだと言うて、その、姉さんが、どうして信心するのに、あんた、毎日参っとるのに、そういう事になるという意味のことをいう事に対してですね。その、どこまでも神様じゃない。僕が悪かったんだという頂き方です。もう本当に、さすがに、この人は違うと、私は思いましたんですけれどもね。なかなか、普通、大人でも、これだけ信心しよるのにと言うような心が出るのでございますけれども。そういう様な頂き方こそね。また、その事によって、ほんなら、周囲の者が、いろいろ分からせられること。それは、佐田さんご両親だけじゃない、私自身も分からせられることがあるんです。ですから、そこになって来る時に、その小さい犠牲よりも、もっともっと素晴らしいその犠牲は犠牲ですけれども。それより、より大きなおかげを受けることが出来ると思うですよね。信心の進め方、そんなところが、大事じゃないかと思うですね。どうぞ。